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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2682号 判決 1973年11月28日

控訴人 中村達恵

<ほか二名>

右控訴人ら三名訴訟代理人弁護士 橋本武人

小倉隆志

被控訴人 株式会社 大丸

右代表者代表取締役 井狩弥治郎

右訴訟代理人弁護士 横地秋二

中川了滋

右訴訟代理人横地秋二訴訟復代理人弁護士 軍司育雄

主文

一、原判決のうち控訴人中村達恵の敗訴部分を取り消す。

二、(一) 被控訴人は控訴人中村達恵に対し金一四六万四、四六九円およびこれに対する昭和三八年八月一〇日から完済にいたるまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。

(二) 控訴人中村達恵のその余の請求を棄却する。

(三) 控訴人中村達恵は前記第(一)項につき仮に執行することができ、被控訴人において金二〇〇万円の担保を供するときはこれを免れることができる。

三、控訴人中村正美、同中村時恵の各控訴を棄却する。

四、控訴人中村達恵との間の訴訟費用は第一、第二審を通して三分し、その一を被控訴人の、その余を右控訴人の負担とし、控訴人中村正美、同中村時恵との間の控訴費用は各同控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、「一、原判決を取り消す。二、被控訴人は、(一)控訴人中村達恵に対し金五一一万六、〇三〇円、(二)同中村正美に対し金八〇万円、(三)同中村時恵に対し金三〇万円および右の各金員に対する昭和三八年八月一〇日から支払ずみにいたるまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。三、訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被控訴人代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠の関係は、次に付加するほか、原判決書の事実欄に記載されているのと同じであるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

一、被控訴会社東京店の本件家具売場における食器戸棚の陳列方法としては、少なくとも右食器戸棚の底部台輪が全部完全に下台の上に載り、かつ、底部の周辺には下台の端がせり出して見えるようにし、下台の上に載せる物体を安定させて陳列すべき注意義務があるところ、被控訴会社東京店では下台を設置するのに隣接の各下台の間に三センチメートル以上の隙間を置き、その上の食器戸棚が下台よりも前方にはみ出し同食器戸棚の台輪にかくれ、下台が見えないように陳列したため、右食器戸棚の台輪の内側が、前面において下台の前端にすれすれの状態で乗り、両側面もしくは一側面において下台の側端よりさらに横にはみ出し、下台から台輪がはずれており、少しでも食器戸棚の下部に対し前方に引張るような方向での外力が加われば、たやすく下台の前端から台輪の内側がはずれ、食器戸棚が前方に傾斜して倒れるようないわば一触即倒の状態で陳列しているという注意義務違反があり、そのため控訴人達恵が本件食器戸棚の下部の開戸に手をかけて開けようとした途端に台輪の前方内側が下台の前端で落ち込んで下台からはずれ、もともと側方がはずれているので食器戸棚が前方に傾斜して、その上に重ね置かれた飾棚が同人の頭部等に落下し、本件事故が発生したのである。したがって、被控訴人は当然に過失責任を負うべきである。

二、仮に事故当時における本件食器戸棚等の陳列方法が前記のとおりであった事実が具体的に立証し得ないとしても、注意義務に違反した陳列をしたとの推認を可能ならしめる証拠が存在する以上、なお被控訴人は過失責任を免れない。もしそうでなければ、本件のような事故にあっては、事故後に被控訴人側で直ちに跡片づけをしてしまうため、被害者側では事故時における具体的な陳列方法を直接立証することが通常不可能であるので、被害者は常に泣き寝入りをしなければならず、他面において、多数の顧客を勧誘し莫大な利益をあげている巨大企業が常に免責されるという不公平な結果をも招来するからである。

三、仮に控訴人達恵が本件食器戸棚の上に置かれていた飾棚を引張り卸そうとしたために、本件事故が発生したとしても、被控訴人は同じく過失責任を免れない。すなわち、被控訴会社東京店では、食器戸棚の上の飾棚を顧客が引張り卸しやすいように積極的に仕向けていたが、老若男女の顧客のなかには、その背丈、腕力等からして前記引用にかかる原判決書中の摘示にあるとおりの形状、重量、位置にある飾棚を引張り出して検分するには力が足りなかったり、あるいは手が滑ったりなどして右飾棚を落下させ、家具を損傷するのはもとより、顧客にも打撲など不測の損害を与えることもありうることは同店の十分に予知しうるはずであったのである。そうだとすれば、被控訴会社としては、家具売場において店員をして物色中の顧客を常時見張らせ、顧客に代って飾棚を引張り卸させるか、もしくは前記のような不測の事故が生じないように顧客に助力させるなど十分に注意をする義務を負うものというべきである。しかるに、本件事故当時、被控訴会社東京店の店員は控訴人達恵に関して右の義務をまったく怠っていたのであるから、そのような状況下で発生した本件事故については当然に過失責任を免れないのである。

(被控訴人の主張)

一、控訴人らの当審における主張第一、第二項について。

本件事故は定休日の翌日でしかも開店直後であったから、開店前検査された陳列状態に控訴人ら主張のような位置のずれなどがあるわけはなく、右食器戸棚自体が前方に倒れかかった事実はありえなかった。控訴人らの右所論は、たんなる空想ないし独自の推論にもとづくものであって不当である。被控訴人としては、種々の注意をし工夫をこらし家具類の陳列をしているのであって、そこには過失が認められるべき直接証拠はもとより、注意義務に反した陳列をしたと推認させるのに足りる間接事実も存在せず、控訴人らの主張は失当である。

二、同主張第三項について。

飾棚の陳列方法は、客の便宜を考えてなされたものであり、商品物色中の客がみずから招く過失を防止するために店員を配置し、すべての客の動静を常時見張らせようとすることは、実状を無視し不能を強いるものであって、不当といわねばならない。

(証拠の関係)≪省略≫

理由

第一控訴人中村達恵の請求について

一、控訴人ら三名の身分関係がその主張のとおりであり、被控訴会社が全国有数の大規模な百貨店であること、控訴人中村達恵が昭和三八年八月九日午前一〇時過ごろ東京駅八重州口前(東京都千代田区丸の内一丁目一番地)所在被控訴会社東京店四階売場に赴いたこと、右売場に陳列されていた本件食器戸棚の上に控訴人ら主張のとおりの飾棚が置かれていたこと、同飾棚が前記食器戸棚の上から落下し、それによって控訴人達恵が頭部刺傷の傷害をうけたため、被控訴会社東京店の医務室で手当をうけ、同店従業員藤田進および控訴人中村正美とともにタクシーで帰宅し、同年九月一七日まで控訴人ら主張の稲葉病院に入院していたことはいずれも当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実に、≪証拠省略≫によると、控訴人達恵は、夫の控訴人正美、長女の控訴人時恵とともに居住していた社宅より他の社宅に移転するにあたり、新しい食器戸棚を買い求めたいと考え、前記日時頃、前記被控訴会社東京店四階家具売場にいたり(同日は被控訴会社東京店の定休日の翌日たる金曜日であり、しかも開店早々であったため、周囲には客の姿がきわめて少数であった)、食器戸棚の陳列されている処で自己の希望する品物があるかどうかを一とおり見てまわったのち、後記本件食器戸棚の前にきたこと、そして陳列されていた数個の食器戸棚のうち明確な位置は特定できないが、少なくとも両端および中央に陳列されていたものではない本件食器戸棚(形状および陳列の方式については後述する)の上に置かれていた硝子張の飾棚(奥行約四〇センチメートル、横巾約八五センチメートル、高さ約七〇センチメートル、重さ約一〇キログラム)が控訴人達恵の頭上に落下し、飾棚の硝子部分が同人の左頭部に強くあたって破損し、同控訴人は飾棚を頭からかぶった状態となり、硝子の破片が同人の左頭部その他に突き刺さり、そのため頭部挫傷兼刺傷の傷害を負ったものであることが認められ、これに反する証拠はない。

二、控訴人達恵は、右飾棚が落下した原因は被控訴会社東京店の従業員らのした食器戸棚、飾棚の陳列方法が完全でなかったことによるものであると主張するので、これについて検討する。

(一)  まず前記家具売場における本件事故当日の食器戸棚の陳列方法についてみるのに、≪証拠省略≫によると、次に付加・訂正するほか、原判決書二三丁裏二行目の「被告会社の」より同二四丁裏一行目末尾までに記載されているのと同じであるから、これを引用する。

1 原判決書二四丁表一行目の「で陳列し」とあるのを削り、これに代えて、「を基準とし、これにそうように陳列し」を付加する。

2 同二四丁表八行目の「ときもある」より、同一〇行目の「倒れかかる」までを削り、これに代えて、「ときもあり、また下台と下台との間には多少の隙間もあるといった状態にあったが、いずれにせよ通常であれば人が物色のため手で触れた位では容易に倒れかかる」を付加する。

3 同二四丁表末行目の「認められ」の次に、「る。もっとも前記甲第一六号証の二ないし四、第二一号証の一、二の各写真には右認定にそわない部分がないでもないが、右写真はいずれも本件事故発生後約四年ないし七年後に撮影されたものであるため、右の部分があることは前記認定を妨げるものではないし、他に」を付加する。

(二)1  前記認定の事実によれば、控訴人達恵は右のように陳列されている食器戸棚の前にきたのであるが、その後本件事故にいたるまでにつき、控訴人達恵が原審における本人尋問(第一、第二回)において供述した要点は、原判決書二四丁裏五行目の「同人は」より同二五丁表八行目の「旨供述し」までに記載されているのと同じであるからこれを引用し、かつ、原審(第一回)および当審において控訴人正美も控訴人達恵の右供述の趣旨にそう供述をしている。

ところで、右の各供述に対して、原審における証人藤田進、見形宗治(各第一、第二回)の各供述の要点は、原判決書二五丁裏末行目の「本件事故の」より同二六丁裏一行目末尾までに記載されているのと同じであるからこれを引用し、かつ、当審証人見形宗治は原審においてしたのと同趣旨の供述をしている。

2  そこで、本件事故発生前後の事情に関する控訴人達恵、正美の前記各供述と証人藤田進、見形宗治の前記各証言とを対比してみるのに、一般に下部が金具により開き戸式になっている食器戸棚であっても、通常の用法にしたがい金具に手をかけて開く程度の外力を加えただけで食器戸棚自体が前方に傾斜して倒れかかるようなことが生じないことは経験則上明らかであり、また食器戸棚の上部に載せられている物件が少しの力を加えることによって容易に均衡を失うことは考えられず、とくに前記のような飾棚の形状、重量からすれば、通常の陳列状況であるかぎり、前記食器戸棚に多少の動揺が生じたとしても、右飾棚がその動揺により前方に滑り下方に落下するなどということは経験則上とうてい考えられないことがらである。

しかるに、本件食器戸棚の上に置かれていた飾棚が前方に滑り落ち控訴人達恵の頭上に落下したこと、本件事故の発生は開店早々であって、他の客が本件食器棚および飾棚に手を触れその陳列状態に変動を生じさせたものとは認められないこと、右控訴人が同飾棚を食器戸棚の上から引張り卸そうとした事実を認めうる証拠はなく、また同飾棚の前記形状、重量などからして、そのような取り出し方をするとは通常考えられないこと、当審における検証の結果によれば、食器戸棚の台輪が完全に下台の上に載っているときは、食器戸棚に外力を与えても動揺しないが、右台輪の前部が下台より前に一・六センチメートルはみ出し、台輪の一方の側面も下台より一・六センチメートルずらせた状態に置いた場合、右食器戸棚は斜前方に傾斜し、同戸棚上の物体(一〇ないし一二・五キログラム)が前方に落下する事実が認められること、≪証拠省略≫によると、本件事故の通報を受け勤務先から医務室に駆けつけてきた控訴人正美に対し被控訴会社東京店営業第四部第十二課(家具売場)係長藤田進が、本件事故は食器戸棚を正しく置かなかったために起きたものである旨を告げて不始末を詫びたことが認められること、および前記(一)認定の事故発生当日における売場の状況からすれば、少なくとも本件食器戸棚が下台に安定して置かれず、これに多少の外力を加えることによって容易に前方に倒れかかる状態にあり、そのため控訴人達恵の供述するような事情のもとに本件事故が発生したものと認めるのが相当である。すなわち、控訴人達恵、同正美の前記各供述は信用するに価いし、前記証人藤田進、同見形宗治は本件事故発生当時の状況を直接目撃したものではなく、右控訴人らの各供述に対比するときはこれを採用することができないし、原審における控訴人達恵の第一、第二回各本人尋問において、事故時における本件食器戸棚および飾棚の状況等について一部前後一貫しない供述(原判決書二五丁表九行目の「原告達恵」より、同裏六行目の「供述し」まで)があっても、事故時の興奮驚愕の際における追憶にかかるものであることを考えると、強いて問題視すべきことではないため、これをもって前記認定を妨げるものではなく、他に右認定を覆えすのに足りる証拠はない。

(三)  被控訴会社のような百貨店にあっては、常時多数の老若男女の客が来集し、売場に陳列展示されている商品に手を触れ、あるいはこれに身体を接することのあるのは当然であるから、前記東京店家具売場の従業員は相当な重量をもつ家具の陳列展示にあたっては、客が商品に手を触れただけで倒れかかるというような事態の生じないようにしておくよう常時配慮する注意義務を有するというべきである。しかるに、前記のとおり容易に食器戸棚が下台からはずれ前方に傾斜するような状態におき、しかも同食器戸棚の上に硝子張りの本件飾棚を載せていたのは、被控訴会社東京店家具売場従業員らに食器戸棚および飾棚等の陳列展示方法における前記注意義務をつくさなかった過失があり、本件事故は同過失にもとづくものであり、しかもそれは被控訴人の事業の執行についてしたものであることは明らかであるから、使用者たる被控訴人はその従業員の右過失によって控訴人達恵に与えた不法行為による損害を賠償すべき義務があるといわねばならない。

三、次に被控訴人の抗弁について判断する。

(一)  被控訴人は、控訴人達恵らが本件事故にもとづく損害賠償請求権を放棄したと主張する。控訴人達恵、同正美が昭和四一年六月一日被控訴会社東京店において、同会社人事部次長、庶務部長らと面談したことは当事者間に争いがなく、原審証人見形宗治(第一回)の証言中には、同人は被控訴会社東京店の家具売場係員であって、右面談に立ち合ったが、その際控訴人正美が本件事故に関しては治療費を含め一切の請求をしないと述べた旨の供述があるが、右供述のような事実があれば、被控訴会社のような企業との間では通常その点を明確にする書面が作成されるであろうが、そのような書面の作成されたことを証する証拠資料が提出されていないこと、ならびに右見形証人の証言に反する原審(第一回)および当審における控訴人正美各本人尋問の結果に対比すると、前記見形証人の供述部分は本人の一方的な思い過ごしにすぎないとみられるのでこれを採用せず、他に控訴人達恵が本件損害賠償請求権を放棄したことを認めるのに足りる証拠はない。したがって、右抗弁は理由がない。

(二)  被控訴人はまた、本件事故の発生につき控訴人達恵の過失も加わっているから過失相殺されるべきであると主張するが、本件事故の発生状況およびその原因が、前示認定のとおりである以上、控訴人達恵の行為には別段不注意の責があったとみるべき余地はなく、右抗弁も失当たるを免れない。

四、控訴人達恵は本件事故によって生じた脳出血後遺症のため諸種の心神障害に苦しみ、日常生活を辛じてなしうるような状態にあるとして、逸失利益、慰謝料の賠償および治療費を請求するので、これを検討する。

(一)  控訴人達恵が本件事故により頭部刺傷の傷害を負い、被控訴会社東京店医務室で手当を受け、同会社の従業員藤田進と控訴人正美に付添われてタクシーで帰宅し、同日控訴人ら主張の稲葉病院に入院し、同年九月一七日退院した事実は当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、控訴人達恵は稲葉病院を退院したのち自宅療養し医師福田義明の治療を受けたこと、右控訴人は本件傷害事故に伴って生じた脳出血後遺症のため右半身不随となり、室内では杖なしに歩行できるが、外出の際には杖を一本使用する必要があり、構音障害に苦しみ、握力は左二三、右五であって、日常生活を辛うじてなしうる程度であり、身体障害三級と認定され東京都より身体障害者手帳の交付を受けていることが認められ、これに反する証拠はない。

(二)  次に控訴人達恵の右後遺症の原因についてみるのに、≪証拠省略≫を総合すると、控訴人達恵がかつて診断治療を受けた医師四名の診療簿の記載を勘案して判断すれば、同人には昭和三八年八月九日の本件受傷以前より、出血傾向、自律神経機能障害、内分泌障害、一過性脳循環障害発作、上部気道慢性感染症、ヒステリー様性格異常などがあったものとみられること、同人が右同日に受けた頭部外傷は軽度のものであり、脳挫傷があったと仮定してもその程度は軽度のものであると考えられること、現在の症状の今後の改善は皆無ではないが、あまり期待できないこと、鑑定人喜多村孝一が診断した結果によると、現在控訴人達恵にみられる症状は前同日の頭部打撃による脳挫傷および頭皮創を直接の原因とする後遺症ではないと断定しうるが、しかし右症状の発現に外傷が間接的に影響を及ぼした可能性を否定できないものであることが認められる。≪証拠省略≫には、前記認定に反する部分があるが、それらはいずれも控訴人達恵の過去における一時期の病状ないし症状を診断もしくは診療した結果の所見であって、これら過去の診断、診療に関する諸記録および直接右控訴人についてなされた診断にもとづいてなされた前記鑑定に対比するときは、いずれも採用することができず、また≪証拠省略≫は、いずれも医学者の一般的見解を示すものであって、具体的事案に関する本件の前記認定の妨げとなるものではなく、他に右認定を左右するのに足りる証拠はない。

(三)  上記の事実によると、本件事故の被害者が通常の体質、健康状態の持主であれば軽度の外傷を生ずるにとどまったのであるが、たまたま被害者たる達恵が特異な体質、健康状態の持主であったため、これが事故と競合して前記のような後遺症の発現をみるにいたったものと認めるべきである。このように被害者の後遺症の発現が事故を唯一の原因とするものでない場合において、その後遺症にもとづく全損害を事故にもとづくものとするのは、損害の公平な負担という立場からみて不当であり、むしろ右のような場合には、事故が後遺症の発現に対し寄与したと認められる限度において、加害者に賠償責任を負担させるのが相当であり、しかも両者の間に相当因果関係の認められる範囲内では、その因果関係のある損害を特別事情による損害として、加害者に当該事情についての予見があったか否かを考える余地はないものと解するのが相当である。これを本件についてみるのに、控訴人達恵の前記受傷の状況、部位、程度、その後の症状、経過その他諸般の事情を考慮するときは、同控訴人における本件後遺症の発現に対する事故の寄与の程度は五〇パーセントと認め、全損害額のうち五〇パーセントの限度において、本件事故と相当因果関係があるものとして、被控訴人に賠償責任を負担させるのが相当である。

(四)  そこで控訴人達恵の損害額について考察する。

(1) 逸失利益について。

控訴人達恵が本件事故によって労働能力をほとんど喪失し、もし労働能力を喪失しなければ取得しえた収入を得るのが不可能となったことは前示認定の事実によって明らかである。そして、控訴人達恵と同正美が夫婦であって、その間に長女である控訴人時恵(本件記録によると昭和二八年六月一五日生れと認められる)がいることは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によると、控訴人達恵は本件事故当時控訴人ら三名をもって構成する家庭の主婦であって(本件記録によると、大正一三年四月二九日生れで事故当時三九才であったと認められる)、家事労働に専従しており、別段の収入のなかったことが認められる。このように別段の収入のない家庭の主婦の地位にある者の得べかりし利益の喪失による損害額については、特別の事情がないかぎり、家政婦の賃金を基準として算定するのが相当であるところ、家政婦の一日六時間の労働に対する賃金が少なくとも控訴人達恵主張の範囲内である金九六九円を超え、そのうち少なくとも三分の一を生活費とみることは当裁判所に顕著な事実であるから、同人の一日あたりの得べかりし利益はその主張のとおり金六四六円と認める。また本件事故当時控訴人達恵は三九才であったところ、厚生省作成にかかる昭和三九年度簡易生命表によると、三九才の女子の平均余命は三七・〇四年(七六才余)であるが、家政婦の業務内容に前記のような体質の持主である右控訴人の健康状態などを考えあわせるときは、その就労可能年数は本件事故以後二六年(六五才)を超えるものとはみられないので、右二六年間に得べかりし利益の総額を算出すると、金六〇四万六、五六〇円(646×30×12×26=6,046,560)となり、右金額からホフマン式計算方法によって中間利息を控除すると、金二六二万八、九三九円(円未満切捨)となる。そうすると、右金額が控訴人達恵の得べかりし利益の喪失による損害額である。

(2) 慰謝料について。

前記のような本件事故の原因、態様および控訴人達恵の受傷の部位、程度、事故にもとづく入院加療、退院後における療養、その後の経過、家庭生活に与えた影響などを考慮し、他方後記のとおり本件事故発生後約三年間にわたって被控訴会社が治療費を負担したほか、長期にわたって相当多額の見舞品を贈与したこと(≪証拠省略≫の各証言によると、その総額は約三〇万円相当と認められる)、その他さきに認定した本件における諸般の事情を総合勘案するときは、本件事故によって控訴人達恵が受けた精神的損害を慰謝するための損害賠償としては、金三〇万円をもって相当とする。

(3) 治療費について。

被控訴会社が本件事故後三年間の治療費を支払ってきたことは控訴人の自認するところであり、その後の生存予想期間に対する後遺症に対する治療費として月額金五、〇〇〇円を必要とすると主張するが、本件事故後三年を経過した昭和四一年八月より今日にいたるまで右控訴人が後遺症のため医師の治療を受け、そのため治療費を支出したことについては、これを肯認するに足りる具体的な主張立証がなされていない。したがって、右期間中における治療費の請求を認めるに由なく、ましてや事故後さらに日時を経過するその後の治療費の請求を認めることはできない。

(4) してみると、逸失利益二六二万八、九三九円、慰謝料三〇万円、合計二九二万八、九三九円となるところ、前記(三)に説示したとおり、その五〇パーセントにあたる金一四六万四、四六九円(円以下切捨)が被控訴人に賠償を求めうる額というべきである。

第二控訴人中村正美、同中村時恵の各請求について

第三者の不法行為によって身体を害された者の配偶者および子は、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべき、または右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたときにかぎり、自己の権利として慰謝料を請求できるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四二年六月一三日判決・民集二一巻六号一四四七頁参照)。本件についてこれをみるのに、控訴人達恵の受傷によりその夫たる控訴人正美およびその長女たる控訴人時恵が直接ないし間接に精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推認できるところであるが、前記控訴人達恵の受傷の程度をもってしては、いまだ自己の権利として慰謝料を請求しうる場合にあたるものとは認められないから、右両控訴人の慰謝料請求は排斥するほかはない。

第三結論

以上の次第であるから、控訴人達恵の本訴請求は、被控訴人に対し金一四六万四、四六九円およびこれに対する本件不法行為後の昭和三八年八月一〇日から完済にいたるまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容すべく、右の限度を超える部分は失当たるを免れず、また、控訴人正美、同時恵の各請求はいずれも理由がないというべきである。

よって、原判決が控訴人達恵の請求をすべて排斥したのは不当であるから、原判決のうち右控訴人の敗訴部分を取り消し、同控訴人の請求を前記金員の範囲で認容し、その余の部分を棄却し、仮執行の宣言およびその免脱の宣言につき民訴法一九六条を適用し、また、原判決が控訴人正美、同時恵の各請求を排斥したのは相当であって同人らの本件各控訴は理由がないのでこれを棄却し、控訴人達恵との間の訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条を、控訴人正美、同時恵との間の控訴費用の負担につき同法九五条、八九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 畔上英治 裁判官 岡垣学 兼子徹夫)

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